5.見せてのこす
展覧会とサステイナビリティ

展覧会を開催することは、作品保存の面からはマイナスの側面があります。水彩画や版画、日本画といった紙や絹などを支持体とする作品は、光にあたることで劣化が早く進みます。油彩作品は比較的光に対しては堅牢ですが、立体作品も含めてケースなどで保護されていない場合は、思わぬ事故によって壊れてしまう可能性も否定できません。ただ作品を残すだけなら、誰にも見せず、ずっと大切にしまっておくのが一番です。

 けれども美術館では展覧会を開催します。作り手のためにもたくさんの人に作品を見ていただき、一人ひとりがその価値について考え、自由に思いを巡らせるための機会を設ける責任があるからです。地域の歴史を伝え、美術に対する関心を広げる展覧会は、ここにある作品の価値を知ってもらい、ひとりでも多くの人に大切だと感じてもらう機会でもあります。そしてこの美術館を大切に思ってくれる人がたくさん増えれば増えるほど、収蔵している作品は多くの人の手によって守られることにつながります。

 そのためには来館者との接点である展覧会が、魅力的でなければなりません。行ってみたいなと思ってもらえるチラシを作ること、また展覧会を見ることができなかった人や将来の人たちに向けて、記録資料としての図録を作ることも必要です。コレクションを用いたさまざまな切り口の展覧会を開催することは、ここにある作品とのつながりを多くの人に見つけてもらう手段のひとつです。

 このコーナーでは実際の展覧会の準備作業の一端をご紹介します。展示室に並ぶ作品がどのようにそこに置かれているのか、輸送、展示の方法から細かな道具にいたるまで、普段は見られない展覧会の裏側をご覧いただくことで、展示作品だけでなく、展覧会という場への関心をもっていただければ幸いです。

所蔵作品ではない作品を展示するためには、美術館に作品を運びこむ必要があります。移動にともなう振動や衝撃、また温度や湿度などの環境の変化は、作品の破損につながる可能性があります。そのため、美術作品を運ぶときは、それぞれにあわせて頑丈なクレート(木箱)や、強度の高い三層構造のダンボール「トライウォール」製の箱(トラ箱)を作り、「美術品専用車(美専車)」と呼ばれるトラックで運びます。空調設備と、衝撃を吸収するサスペンションがついた、特別な車両です。
 作品に直接触れて作業をすることを「ハンドリング」と言います。いくつかの輸送会社には、美術作品のハンドリング訓練を受けたスタッフがいて、作品輸送や美術館での展示作業にあたります。美術作品は、かたちも大きさも状態も、一つひとつ全く違うため、それぞれにあわせたハンドリングを行い、学芸員と一緒に展示方法を考えます。
 彫刻など、特に重い作品は、パレットと呼ばれる木製のスノコに載せ、ハンドリフトを使って移動させます。しかしパレットから展示室の床に下ろすのは、結局のところ人の手作業です。

美術品専用車のミニカー image

展示室では作品がいったいどのくらいの高さで壁に掛けられているのか、考えたことがあるでしょうか。同じ作品でも掛ける高さによって掛けるその印象は変わります。美術館では、展示室内での統一感を持たせながらも、展覧会のテーマや空間の広さなどを考慮して、毎回高さを決めています。
 作品の展示方法は、その形状や使われている材質や技法によっても違います。たとえばガラスなどで画面が保護されていない作品の場合はカバーをつけたり、作品に触れられないように足下にテープやゴム紐の結界をはって、観賞者の注意をうながす必要があります。光の強さも作品の劣化に関わるため、使われている素材ごとに、照明の明るさを調節します。
 ほかにも展示には、作品を守るためのさまざまな工夫があります。しかしこれらは、作品を見るときの邪魔にならないことが大事です。工夫の労力に気づかれることなく、「よい展示だったね」と言われることこそが、展示作業をする人にとっては最高のほめ言葉です。

image 左から日本画、水彩、油彩作品それぞれの展示方法と、展示室の安全を守る監視員
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  • 弱い紙作品を自立させ、額内でのグレージング面との接触を防ぐためのマット。中性紙でできており、切れ端は、ケース展示資料のサイズにあわせてひとつずつ切って、作品を直接ケースに接触させないための下敷きにも使う
  • 滑り止めとテグスは彫刻や陶芸作品に使用する。ポリエステルフィルムテープ(通称マイラーテープ)は、冊子体資料のページ押さえに用いる
  • 壁に掛ける作品は水平・垂直を揃えるのが基本。ここにある水準器は1996年の展覧会でロジャー・アックリング氏が用いたもので、その後、当館に「寄贈」されて現在も使用しているもの
  • 冊子体の資料に挟み込んで中のページを見せるためのV字型アクリル
  • さまざまな形態の絵画用フック。地震による落下、盗難防止の仕掛けがついている
  • 細かなアクリルブロックや、固めのスポンジ「エサフォーム」(通称エサ)を使って、展示資料の高さ・厚み調節を行う
  • この展覧会の直前まで、この展示室では「もうひとつの日本美術史——近現代版画の名作2020」が開かれていました。展覧会を入れ替えることを「展示替え」と言いますが、当館では壁面を移動させたり、展示台を準備したりして、展示内容にあわせてさまざまな作業を行っています。今回の展示替え期間は7日間。壁に掛かっていた作品がなくなり、照明器具が外され、新たな展示へと移り変わる様子を7分弱にまとめました。

    美術館のなかで作品を保管してあるのは、収蔵庫という場所です。24時間365日、温度と湿度を管理しています。高温高湿の環境下や温湿度の変化によって結露が生じると、作品にカビが生える可能性があり、また急激な温湿度の変化も支持体の伸縮によって絵具がはがれる原因となるからです。
     展示室にも常に作品があるため、収蔵庫と同様の管理が必要です。当館では基本的に、温度22℃、湿度55%に設定しています。季節によっては、「展示室が寒すぎる/暑すぎる」という意見をいただくこともありますが、人間側が服装で体感温度の調節をするよう、ご協力をお願いしています。
     作品の状態を管理するために必要なのは、温湿度だけではありません。展示室は外部につながっているため、作品にダメージを与える虫などの「招かれざる客」がやってくる可能性があります。作品にとって有害な生物を物理的に侵入させない工夫を施すことや、日々の監視(モニタリング)を行って現状を把握すること、そして人の健康にも害がある殺虫剤は必要最小限の使用にとどめることで、作品保存に適した環境を維持することができます。美術館ではこうしたIPM(総合的有害生物管理 Integrated Pest Management)と呼ばれる管理を日々行っています。

    温湿度計や虫害対策関係ツールなど、保存に関する道具のいろいろ

    展覧会には印刷物がつきものです。チラシやポスター、看板から図録まで、その多くは作品の写真を使います。一般的に4色程度のインクを用いて行う印刷は、実際の作品とはやはり似て非なるものですが、「色校正」という確認作業を通して、できるだけ実物の色に近づけます。作品はいつでも展示できるわけではありませんし、いつでも観賞できるわけでもありません。また図版によって、作品の印象が変わる場合もあるでしょう。そのためにも作品の図版は、できる限り正確に、実物の色を再現する必要があります。
     そして図録は、会期が終わればなくなってしまう展覧会という場を、記録として残すためにも重要です。また調査研究の蓄積が反映された資料として、内容はもちろん図版についても後々まで参照されることになります。
     当館では予算の都合上、すべての展覧会に図録を製作できないのが現状ですが、活動の記録と研究の蓄積として、できるかぎり記録物を刊行していきたいと思っています。

    和歌山県立美術館時代からの図録の数々 image

    展覧会に際して作品を借りることがある一方、当館のコレクションも頻繁に他の美術館へ「出張」しています。各展覧会のテーマにあわせて個別の作品について貸し出しの依頼を受けることが最も多く、こうした展覧会では、その作品の新たな側面に光が当てられることにもなります。
     また版画など、ある程度まとまった数の作品を貸し出すこともあり、「和歌山県立近代美術館と言えば版画」という知名度は、こうした実績からも示されます。
     一般に「コレクション展」や「常設展」は、いつでも見られるものとして比較的、関心を向けられにくいものですが、他の地域に行けば「和歌山県立近代美術館のコレクション」という館名を冠した「企画展」として開催されることになります。
     こうした作品の貸し出しは、美術館同士の協力・信頼関係に基づきますが、和歌山県の、また広く社会の財産であるコレクションを、できるだけ多くの人に見てもらえる良い機会ともなっています。

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